tgm5gen2008-09-23



「鍋と将棋」ブログ!

●鍋 は、「大根なべ」一辺倒!

◆将棋は、「田上五間」一刀流

◆昨晩!なんと羽生名人に会う!話す!!サインもらう!!!・・・実は名人とは1階ロビーからエレベーター一緒し思わず名刺交換も。

第93回IWI定期講演会 講師 羽生善治氏 <日本将棋連盟棋士 第十九世永世名人
演題・・・『現代的な価値とは』
日時:平成20年9月22日(月)18:30−19:30、場所:日本プレスセンタービル9階

以下骨子メモ。

 一番多い質問は「何手先まで読むのか?」。木村14世名人はかつて「ひとにらみ2000手」と答えたが、将棋は一局面で80通りの手があるが棋士は直感でその77−78手を捨てている。それはあたかも写真のフォーカスを絞る感じ。無限の手を絞るのに大局観を使う。方針や状況判断のようなもの。
 プロ棋士でもそんなに先が読めているわけではない、プロ棋士仲間では実戦の実際の10手先を予測するのは難しいねと話してる。実戦では必ず予想外のことが起きる。想定外の繰り返しが連続する。
 一方終わりの方が近づくとゴールを設定してつじつまを合わせていく、つまり詰みの形を決めてしまって論理的に近づいていく。今までの自分の手に対して一番自然かどうか一貫性をもてるかどうかを考える。
 長考について。たまに相手が一手に3時間も考えて、自分も次の一手を3時間考えることも。計6時間あれば名古屋出張して帰れるなとも(笑)。でもずっと手を読んでいるいるわけではないんです、将棋以外のことも考えていたりいかに集中できるか工夫もする。ほとんどの長考は迷っていることが多い。候補の手が見えていてもどっちがいいのか、すぐれているかに迷い、ふんぎりがつかない。
 調子の良し悪しは、見切りがうまくつけられるかどうかがバロメーターのようだ。勝負の世界はほんとに下駄を履くまでわからない。最近自分も初心者でもやらない「一手詰み」負けをして、自分も相手もお互い慌てたこともある。まるで締め切りに追われるような「秒読み」がプレッシャーとなるが、逆に追い込まれてこそ潜在する力が出ることもある。
1番よいパフォーマンスは「リラックス」、2番目は「プレッシャー」、最悪は「やる気がない状態」。「プレッシャー」とは目標に近づいた時に感ずるもの、いけるかもとかすかな手ごたえと考えている。唯一、年齢とともに強くなる分野は精神的なメンタルな強さではないか。年配棋士をみていてもいざという場面で力を発揮できる人が多い。若い人はたくさんの情報とデータを研究しており、瞬時に真似される。
 以前は、対局では朝の10時から12時くらいは中々ゆっくり会えない相手と近況を話しあうのが常だった。序盤戦は気楽でどうやっても同じという感じだった。今は情報が多いので一生懸命やっていればそんなに差がつかない。創造的なことにどれだけ時間がさけるのかである。そうでないと新しい発想が浮かびにくい。膨大な情報とデータを忘れて「まっさら」、「真っ白」にして考えることが肝心。あまり詰め込み過ぎるとオーバーヒートしてしまう。
 移り変わりの速さは日進月歩、今までにない発想やアイデアがはやる。「高飛車」という言葉がありよくない戦法の意味だったがいきなり流行りだす。知識を理解するための時間が最後まで大事。そういう経験を沢山持っている人は落ち着いてやっていける。手ごたえのようなものを本能的に知っている。知識をもっていること、よりも知識を得るために費やしたプロセスや時間が本当の知恵。思い切って新しい手を打つ、アクセルを踏む、を繰り返すことで得られるものがある。
 コンピューターについて話したい。すでにアマの最上位の力をもっている。終盤の局面で30分悩んでいる時にPCはボタン一つですぐに詰むのか、詰まないのかがわかることもある。チェッカー(?)はすでに五分と五分になる結論がでている。
 人間が(PCより)強く成長していくこととは、削っていくことや小さくしていくことが強さの源ではないか。PCは逆に積み上げていくことが得意で人間と反対方向にトンネルを掘っていく感じ。考える方向とプロセスは正反対だが最後の結論は同じなのか?違うのか?同じになるような気がしている。
 チェス名人のカルバロフを破った、IBMのディープブルー(ソフト)はその後他に使い道がなく廃棄処分になった。米国国立博物館にその一部が展示されてるのみ。これでIBM株が20%アップしたらしいが・・寂しいものを感じる。
 私にとってPCは将来、有能助手になるのではないか。ある局面で相手の次の手を問うなど。PCは新しいアイデアの発見が一番苦手。進歩はとめられないけれども・・。
 一方ネット将棋の普及のお陰か、地域の格差がなくなった。今までは圧倒的に都市部からが有利だった。今は地方に住んでいてもネット上の道場で強くなる。
 「将棋」をやることの価値とは?ただ勝負をつける、タイトルをとるだけでは足りないものを感じる。見てる人がスゴイ手と感じてくれたり、こんな局面見たことないものを・・・真剣勝負の中で自然に生み出されていく。
 意外に、闘争心でやっているわけではない。本当の接戦では他力をつかうことも、うまく相手に手を渡せる方が良いとか、後出しじゃんけんのようなもの、相手にゆだねる、自分の力だけでは解決できない場面もある。
 めまぐるしく、変化する、驚かされる・・・という価値を見出したら良いのかと考えている。
 将棋を覚えたての時は、自分の性格がでますよ。
 ボナンザは画期的でした、作り手が将棋をしらない化学者だった、環境が整えばPCとの対局もありうる。

(わたしの質問:羽生名人が一番尊敬する棋士は?)
 う〜ん、升田幸三ですね、あの時代には升田先生しかいなかったので周りは誰もわからなかったのですが、升田将棋は3−40年先の(現代の)将棋だったのです、本当に凄いと思います。

(以下、私の雑感)
 私の質問に明確に答えてくれた、しかも升田幸三だったことは嬉しかったのですが、なんとなく「尊敬する人はいないのですが・・」と応えるのではないかと思って質問しました。
 全体として1時間があっという間の密度高い講演でした、こんなに打ち震えながら聞いた講演会はありません、自分が将棋を愛していることを再認してしまいました。
 羽生名人は堂々と自信満々でしたが、、年齢(いま38歳で私より10歳下)を重ねること、能力が衰えることへの不安のようなものや、勝つこと・タイトルを獲ること以外の何を追い求めていったらいいのかへの欲求みたいなものを、会場で最後まで律儀に見送る姿や目線に感じてしまったのは思い過ごしでしょうか。
 いつかどこかでまたお会いし会話できたらと切に思いました。(終)